2011年10月25日火曜日

お金はどこに消えたか?

お金はどこに消えたか?

ウィキペディアより

バーナンキの背理法

バーナンキの背理法は、2001年ごろから主として日本のインターネット上で話題となった俗説である。バーナンキは、デフレ不況に陥った後も、ゼロ金利下でデフレ克服に向けて有効な手だてを施せない日本銀行の金融政策を批判し(インフレターゲット#平成のデフレ不況の項も参照)、自らの論文[要出典]においてリフレ政策の有効性について、以下の説を発想し、記している。
 「もし、日銀が国債をいくら購入したとしてもインフレにはならない」と仮定する。すると、市中の国債や政府発行の新規発行国債を日銀がすべて買い取ったとしてもインフレが起きないことになる。そうなれば、政府は物価・金利の上昇を全く気にすることなく無限に国債発行を続けることが可能となり、財政支出をすべて国債発行でまかなうことができるようになる。つまり、これは無税国家の誕生である。しかし、現実にはそのような無税国家の存在はありえない。ということは背理法により最初の仮定が間違っていたことになり、日銀が国債を購入し続ければいつかは必ずインフレを招来できるはずである。  

ただし、バーナンキ自身は上記の説を特別な発想とは考えておらず、「バーナンキの背理法」と名付け、流布させたのは日本のネット社会である。

また極端な発想で「デフレを克服するには、ヘリコプターから現金をばら撒けば良い」と発言し、「ヘリコプター・ベン」と揶揄される事がある。

バーナンキの背理法はあらゆる政策手段を考えればその中にデフレ脱却の手段があるはずで、それを見つけられない日本銀行や経済学者を怠慢だとして非難する口実になっている[要出典]。しかし他方で、手段の存在証明と実際に有限時間の間に見つけられるかは別である、またそもそもバーナンキの背理法自体が無仮定なものではない。とりわけ、日銀総裁の首を取ってリフレにコミットさせるという案はバーナンキの背理法の仮定にそぐわないという批判がある[要出典]。




背理法とは?
リフレとは?
無仮定?

意味がわからずストレスが溜まる。

文脈から意味を判断すると、

・日銀が国債を購入し続ければ、いつかはインフレになる。

・リフレ政策=デフレを脱却する政策

・デフレを克服できないのは、日銀、経済学者の怠慢。

・執筆者:一概に怠慢と言えない。




すでに日本もアメリカも大量の国債を発行している。

資料を探す:国債発行高、物価指数、 平均株価の推移。金、土地、為替の推移を確認

お金は十分にばら撒いている。

いったいどこにばら撒いているのか?

金融界

金融界とは具体的に誰のことか?

実体経済に対して、資産経済、金融市場という言葉がある。

ちょっと考えてみる。

・金融市場、資産経済は価値を生み出しているのか?

・価値とは価格が上がることか?利益のことか?

・金融市場の利益は、誰かが得をすれば、誰かが損をする世界か?

・バブルで株や土地が上がったときは、全体が儲けたのか?損をした人はいないのか?

・価格とは、通貨の量とモノの供給量、需要量で決まる。
→マネタリスト 通貨供給量
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マネタリストの主張の骨子は、以下のようにまとめられる。

  1. 貨幣供給量の経済に与える影響力は非常に大きく、人々の予測形成が困難な裁量的政策は無用な景気変動を生み出す
  2.  貨幣供給量は政策的にコントロールできる
  3.  インフレーションは貨幣的現象である
  4.  貨幣の増加率とインフレ率には長期的に単純な比例関係がある
  5.  よって、インフレや景気変動を安定化させるために、貨幣供給は裁量ではなく、一律のルールに基づいて行うべきである

貨幣供給量は、短期的には貨幣錯覚などにより実物経済に影響を与え、その典型が1930年代の誤った金融引き締めによる大恐慌だという。ミルトン・フリードマンは緻密な実証研究によりこのことを証明し、裁量的なケインズ主義政策への激しい攻撃を続けた。彼の主張は、1970年代米国のインフレと不況の並存(スタグフレーション)により、フィリップス曲線の崩壊の予言の的中をもって頂点に達した。

※誤ったのではなく、狙ったのではないか?大恐慌で誰が損をして誰が得をしたのか?安くなったものを誰が手に入れたのか?

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・通貨の発行量はいかにして決められるのか?
→銀行貸付、公定歩合、BIS規制、為替

・金融機関は誰にお金を貸しているのか?どこで利益を上げているのか?
・ひょっとして金融商品の売買で儲けているのでは?
→決算書

・金融市場のお金が実体経済に流れてきたら大変なことになるのでは?
→金融市場の規模、世界のGND

金融市場は、わずかな資金で購入した商品を担保にすることで、資金の何倍もの商品を取り扱い出来る。 価格の変動によっては元本が吹き飛んでしまい、借金が残る事がある。
借金で払えない人がいるのに、もし勝った人が利益を引きだすと、金融機関が負担することになる。
ときどき負けが込んで払えなくなりそうになると、国に泣きつくのでは?

まるでゲームセンターのゲームで、勝っても換金できないでゲームを続けさせられ、負けると現金の支払いを要求されるみたいだ。

ゲームセンターのゲームにいくらお金を入れて、ゲーム機のクレジットが増えても、実体経済がよくなることはない。

むしろ、必要な資金が実体経済に流れなくなった分、通貨の量が減ったため物価が下がっている。

通貨の量が増え、物価が上がる=バブル

バブルの途中で、通貨量を引き締めると、バブルがはじけ、物価が下がる。

通貨の量を減らしていくと、通貨を得たいため、物価が下がる。お金がほしいため安い賃金でも働く。

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日本銀行の買いオペレーション、売りオペレーションという言葉がある。

お金を発行していないような感覚になる。

日銀の貸借対照表と損益計算書はどうなっているのだろう。

お金を発行することは、バランスシートにどのように掲載するのだろうか?



ウィキペディアより

シニョリッジ (seigniorage) とは貨幣発行益、貨幣発行特権のことをいう経済用語。「セイニアーリッジ」「シニョレッジ」といった表記もされる。


「シニョール」 (seignior) とはフランス語で中世の封建領主のことで、シニョリッジとは領主の持つ様々な特権を意味していた。その中には印紙税収入や鉱山採掘権などもあるが、特に重要なのが貨幣発行益であった。中世の領主は額面より安価にコインを鋳造し、その鋳造コストと額面との差額を財政収入として享受していた。

鋳造貨幣はその地金価値を額面が上回ることが多かったため、シニョリッジを狙って貨幣の偽造が行われることも多かった。また、領主は財政難に対処するために品位を落として貨幣を鋳造するようになった。低品位の貨幣は財政難を解消するために役立ったが、一方で貨幣に対する信用を下落させインフレーションを引き起こしてきた。

現代では政府の発行する硬貨(補助貨幣)について、製造費用と額面との差額は政府の貨幣発行益となっている。一方で中央銀行が銀行券を発行することによって得られるシニョリッジは、銀行券発行の対価として買い入れた手形や国債から得られる利息であり、銀行券の製造コストと額面の差額ではない。これは政府の発行する貨幣との大きな違いである。銀行券は銀行にとって一種の約束手形であり、バランスシート上も負債勘定に計上されるものであるところから、このような違いが生じる[1]。

※もともと銀行券は、金と交換可能な兌換券だった。もっと前は金の預かり書だった。

中央銀行のシニョリッジについては、銀行券の独占的発行という特権から得られる性格のものであることから、その利益を公共に還元すべきという考えがある。多くの国において、中央銀行が利益の一部、または全部を国庫に納付する制度が採用されている[注 1]。ただ、政府が当然のものとしてシニョリッジを得ることを認めてしまうと、紙幣増発に政策が誘導されインフレの助長や財政規律の緩みの恐れがあるため、納付金の使途に制限を設けることがなされている。また、最後の貸し手機能など中央銀行が行う公共サービスの原資としても用いられる[1]
シニョリッジから得られる実質的な価値には上限があり、またそれは一般に考えられているほど大きくはない[2]こ とに注意が必要である。また、通貨は市中の貨幣需要により供給量に上限があり、それをこえた通貨供給をおこなえばインフレが生じ、物価上昇分が(通貨を保 有していたことに対する)インフレ税として機能することになる。加速的なインフレのもとでは誰もが資産を通貨で保有しようとしなくなるため通貨発行益を減 らすことになる[3]

政府紙幣との関係

00年代の終わりごろ、日本では「デフレ不況を克服すべし」としてシニョリッジ活用が声高に叫ばれるようになった。つまり政府は不況への対策とし て、貨幣(硬貨=補助貨幣)と同じように、紙幣を発行してシニョリッジを活用すべきといったものである。なお、このデフレ対策としての政府貨幣・シニョ リッジの有効性の議論と、財政再建への政府紙幣・シニョリッジの有効性の議論とが混同されることがあるが、両者は別物であり区別しなければならない。

現在の貨幣発行は「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」をその根拠としており、最高額面高は500円であるため、政府紙幣を発行するためには法律の改正が必要となる。

多くのシニョリッジ活用論は通貨発行益についての誤解があるか、過剰な期待に基づいている。政府紙幣は国庫の負債であり、無利子国債の発行と同等で ある。市中が政府紙幣を受容し流通させるのは完全に償還され返済されるという期待があるためであり、インフレなどにより減価するなり一部にデフォルトが生 じる可能性があれば政府紙幣や無利子国債は流通しない。

一度発行された政府紙幣の回収は困難を極めるものであることが歴史的教訓により容易に予想できるとして、安易なシニョリッジ活用論に対して警鐘を鳴 らす論者が多い。長期国債などの日銀による直接引受は政府紙幣の発行と同等の効果があるが財政法5条により禁止されている。国債をいったん市中で発行し日 銀が介入オペをおこなうことと、日銀が新発国債を直接引き受けることの金融政策上の違いは重要であり、財政規律に市場制約を課すものである。

通貨発行益(S)は実質ベースマネーの増分(⊿M)とインフレ率と一期前の実質ベースマネーの積(π×M-1)の和であり(S=⊿M+π×M-1)、⊿Mは経済成長などにともなう通貨需要の増大に対応し、π×M-1は「インフレ税」に対応するものである。⊿Mは市中の貨幣需要[注 2]に より上限があり、安定的な経済成長下では貨幣需要は増加するものの、低成長の場合はむしろ減少することがある。政府は一時的な財政支出により通貨需要を増 加させることができるが市中の貨幣需要は自律的な保有動機にもとづくものであり、経済成長にともなう貨幣需要が増加しないかぎりベースマネーの水準はもと の均衡水準にもどってしまう。

国宗浩三によれば[4]通貨発行益の増大を行政府がはかったばあい、誘惑に負けて巨額の貨幣発行を行うことの経済的帰結は明らかであり、インフレの発生、インフレ率の高騰、それ に伴う経済社会の混乱である。またインフレは貨幣需要をへらすため(通貨保有による「課税」を逃れるため)、結局は通貨発行益を減らすことになるとする。

一方で、とくに開発途上など持続的な経済成長をともなう経済においては、経済の成長に伴う貨幣需要に見合っただけの通貨を追加的に供給することにおいて は、通貨発行はインフレの要因にはならず税源としての通貨発行益が期待できるとする。

経済にはタダ飯(フリーランチ)は無いのが普通であるが、経済成長に 伴う通貨発行益は数少ない例外であり、通貨発行益を主な財源としてあてにするのは大きな間違いであるが、経済成長が続くかぎり(とくに発展途上国にとって は)安定的な補助的財源としては優秀なものだとする。

※「経済にタダ飯は無い」、「働かざる者食うべからず」という考え方。
 資産がある者は、働かないでも食べることが出来る。
では、資産のある人、組織、地域、国、地球単位で考えてみる。
豊かな地球でテクノロジーの進歩で生産性が上がり、わずかな労働で生活ができるようになったのに、何故、昔よりも働かなければならなくなり、老後も貧しくなってしまったのか?
地球は有料か?資源、土地は便宜上私有しているにすぎなのでは。
経済、お金というものを根本から見直す必要がある。
資源や環境、健康は失ってからその価値に気付く。
資源を浪費して何が経済成長なのだろう?
土地が少ない?高さを有効利用すれば問題ないはず。
想像力の欠如が貧困な社会を生み出している。
ヒステリックに地球に穴をあけ、汚しまくって墓穴を掘っているようだ。
ビジョンを示そう。

中国の経済構造はこの点で特筆すべきものがあり、中国政府の財政における通貨発行益は非常に高く、 GDP比5%を超えている。しかしインフレ税に頼る比率は約3割にすぎず、7割は成長にともなう果実としての通貨発行益である。ただしこれが今後も続くか どうかと言う点については慎重であるべきで、経済システムが成熟するにしたがって貨幣選好は低下し相対的な貨幣発行益は減少する可能性がある。

脚注 

  1. ^ 日本では日本銀行の毎期剰余金は法定準備金、配当を除いた額を国庫に納付することとなっている(日銀法第53条)。
  2. ^ ケインズによれば「取引的動機」、「予備的動機」、「投機的動機」の3つ、新古典派によれば「取引的動機」、「予備的動機」の2つ

出典 

  1. ^ a b 小栗誠治、2006年、「セントラル・バンキングとシーニョレッジ」、『滋賀大学経済学部研究年報』(13)、滋賀大学経済学部、ISSN 1341-1608 pp. 19-35.
  2. ^ デビッド・ローマー 上級マクロ経済学
  3. ^ 「通貨発行益(シニョリッジ)と途上国財政」国宗浩三(『開発途上国と財政問題』調査研究報告書 アジア経済研究所 2008 年)[1]
  4. ^ 「通貨発行益(シニョリッジ)と途上国財政」国宗浩三(『開発途上国と財政問題』調査研究報告書 アジア経済研究所 2008 年)[2]

関連項目


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野の花、空の鳥を見なさい

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鳥と花

だから、わたしはあなたがたに言います。
自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。
いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。

空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。

しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。
信仰の薄い人たちよ。
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。
しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
(マタイによる福音書 6:25-34)

Therefore I say unto you, Take no thought for your life, what ye shall eat, or what ye shall drink; nor yet for your body, what ye shall put on. Is not the life more than meat, and the body than raiment?
Behold the fowls of the air: for they sow not, neither do they reap, nor gather into barns; yet your heavenly Father feedeth them. Are ye not much better than they?
Which of you by taking thought can add one cubit unto his stature?
And why take ye thought for raiment? Consider the lilies of the field, how they grow; they toil not, neither do they spin:
And yet I say unto you, That even Solomon in all his glory was not arrayed like one of these.
Wherefore, if God so clothe the grass of the field, which to day is, and to morrow is cast into the oven, shall he not much more clothe you, O ye of little faith?
Therefore take no thought, saying, What shall we eat? or, What shall we drink? or, Wherewithal shall we be clothed?
(For after all these things do the Gentiles seek:) for your heavenly Father knoweth that ye have need of all these things.
But seek ye first the kingdom of God, and his righteousness; and all these things shall be added unto you.
Take therefore no thought for the morrow: for the morrow shall take thought for the things of itself. Sufficient unto the day is the evil thereof.
(Matthew 6:25-34)


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